人びとは、働けばまた入ってくる金銭を惜しみ、金銭を無駄にしないように計画的に使うことはよく知っている。それなのに、いかなる善巧方便をもってしても絶対に取り返しのきかない、その意味で何ものにもまして貴重な人生の時間を浪費してかえりみないのは、まさに本末転倒の極といわねばならない。

といって、時間は私たちの手の届かぬところでドンドンと流れ去り、その流れを停止させることはできない。私たちは一日一日、いや一刻一刻、人生の臘月に近づきつつあるのである。それを今さら悲しみあわてたところで、どうなるものでもない。

だとしたら、人生を浪費せず、これを護惜して大切に生きるとは、どう生きることであろうか。それを簡単に説くことは容易ではないが、要するに自己に本来そなわっている仏性を発見し、これを立派に育てあげ、いつでも、どこでも仏性そのものとして、換言すれば真実の自己として主体的に生きることである。

そうすれば、歳末になってあわてないですむだけでなく、臨終に際して「ああ、生きがいある人生だった。我が人生に悔いなし」と、強がりでなく昂然と面をあげていうことができるであろう。


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