小川忠太郎講演「剣と禅―人間形成の道」

(元警視庁剣道名誉師範 無得庵小川刀耕老居士)
於 聖徳学園岐阜教育大学講堂S63,10、16 

小川先生講演第二段

次に、剣道の沿革をお話しします。剣道は真剣勝負から始まっている。徳川の初頃に、これは「道」にまで到達した。「剣」は心なり!」それが文献に表われているのが、柳生流の「不動智神妙録」。これはもう立派なものです。一刀流では、あまり世間では言いませんけど、「五点」というのがあります。これは禅に「五位」という高い法理がありまして、それから採っているのです。当然これも(剣道の)心。

ですから徳川初期から一流を成した流儀は、これは「道」です。
「剣術」ではなくて「剣道」。ところが、そういつまでも真剣勝負でやるということが許されないから、それまで体得したところの真理(秘伝)を「型」(かた)に残しています。もう一つは「伝書」(でんしょ)に残しています。剣道の本当のところは「型」「伝書」にあるんです。

これを実際にやってみると、初めのうちはいいけれど、だんだん形式になってくる。それで「型」(かた)の助け(補助)として、徳川の中期に、今の防具の稽古が始まった。「型」が本体で、 防具をつけた稽古はその助け(補助)です。
ところがこれを実際やってみると、打ち合いが面白いから当てるという事に主眼がいってしまう。

H24、浜松武道祭なぎなた演武

脚注と解説

「道」
「広辞苑」などでは「道」とは人や車が通行する道路の他に、道理をわきまえること。分別。とあり、千里の道を遠しともせず。道が開ける。道は近きにあり、しかるにこれを遠きに求む。和解の道がない。道を失う。人の道に背く。儒、仏、道教の教義として、仏の道。孔儒の道。老子の道。などの用例が挙げられている。

「人間形成と禅」の著者立田英山老師は「道」の意義と技芸(技術、技能、芸術)道の関係について次のような意味の事を述べておられる。

「道」とは「中庸」の「天命 これを性という」
「性に卒(したがう)これを道という」に由来している。唯一絶対なる天命の、そのままの現れが「道」である。人類道、社会道、人間道、自然道、技芸道、宗教道も、その基盤においては同一であり、いずれも人為的にはあれこれと造作することは許されないものである。形而下であれ形而上であるを問わず、天真流露であるべき。人間形成にあたっては常に、仏教における「空」で表される、大自然の生命に参じていなければならない。
技芸道とは絵画、彫刻、建築、美術工芸、音楽、文学、演劇、芝居、芸能、踊り、演舞、演武に至るまで総括してあげたもので、道という以上、前述の意味がふくまれているべきである。一般に真理を求める自然科学が、事実をもとにして、理知的であり客観的であるに反して、美を追う技芸の面では多彩になるのは免れない、自然科学と異なり技芸の面では、洋の東西においてその価値基準も含めて極めて多彩であり大変な相違があるようにも見えます。

「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」
仮名法語、将軍家剣術指南役 柳生宗矩の問いに対して、沢庵禅師が禅の心を剣に喩えて説いたもの。1巻。1638年(寛永15年)頃成る。

沢庵禅師は江戸初期の臨済宗の僧。諱(いみな)は宗彭(そうほう)。但馬の人。諸大名の招請を断り、大徳寺や堺の南宗寺等に歴任。1629年(寛永6)紫衣事件で幕府と抗争して出羽に配流。32年赦されて帰洛、家光の帰依を受けて品川に東海寺を開く。書画、俳諧・茶に通じ、その書は茶道で珍重。(1573〜1645)。沢庵漬は沢庵和尚が作ったとも、また「貯え漬」の転ともいう。たくあん。たくわん。とも。冬の季語でもある。

三ヶ日舎房道場静坐

[五点」
一刀流の剣の理法を洞山の五位を参考に五段階で説明したもの。

「洞山の五位」
洞山良价禅師の秘曲として、密室風を通ぜずというありさまで、師家から師家に伝えられたもので、五位というのは、正中偏、偏中正、正中来、兼中至、兼中到の五位。その詩句は公開されているので、改めて述べるまでもないが、簡単に法理として、四法界に配すれば、正中偏は理法界、偏中正は事法界、正中来は理法界から理事無碍法界に打って出でんとする位を、兼中到は理事無碍法界から事事無碍法界へ出でんとする位を、最後の兼中到は事事無碍法界を表している。見性了々底の境涯。(立田英山著「人間形成と禅」より)


「型」(かた)
かた「型」(ふつう型と書く)武道・芸能・スポーツなどで、規範となる方式。「踊りの型」「攻めの型」など。

「伝書」(でんしょ)
秘伝を記した書。また、家に代々伝わった書物。(以上広辞苑より)


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