警視庁剣道名誉師範 無得庵小川刀耕老居士
小川忠太郎講演・剣と禅 人間形成の道
於 聖徳学園岐阜教育大学講堂 s 63,10

小川先生講演第四段

「竹刀」、「日本刀(刀)」と「剣」の違いと全剣連の理念

全剣連の委員に私も入っていたので、第一回の委員会で提案した。
四ッ割りの竹刀は、日本刀という観念で使うのか、あるいは、戦後、剣道は進駐軍から禁止され、止むを得ず作った撓競技の十六割の袋撓,(ふくろしない)、これは日本刀ではない、刃筋などはない、どこで打ってもよい、この日本刀を離れた十六割の袋撓の観念で使うのか、先ず、これから決めようと、いうことになったが、一番の難問が一時間で決まった。

十人の委員の内九人までが文句なく、この「袋竹刀を真剣のつもりで使う」というもの。

反対された人は、「剣道の中に型を採り容れたり、居合を含めれば、刀が入る(真剣を使用する)。しかし、ああいうのは(剣道型や居合)は除外して、防具をつけて三尺八寸の竹刀だけを使うものを仮に剣道と呼ぶにしても、それは実際には、刀を使用しないから『剣』の道じゃないじゃないか。」というもの。一理はあるが、この考え方は大勢とはならなかった。そんな次第で「剣」の一字がまず名称に入った。

「剣」には如何なる意味が?{剣の精神}とは

剣には如何なる意味があるのか。剣を交えての勝負はやり直しが利きません。「もう一度」ということが出来ません。これが人生です。我々は、各自それぞれの自分なりの寿命をもっておりますが、与えられた寿命のうちに為(なし)た事は後戻りが出来ない、やり直しが効かない。人生という厳粛なものであれば、剣の精神というものはやり直しの出来ない人生に直結するのです。また人生に全く同じ事は二度と起こらない。「そちら」と「此処(ここ)」は決定的に違うのです。

無得庵老居士の墨蹟「平常心是道」(高崎静坐会会員所蔵)

だから慎重に、自分の全力で前へ行かなければ、前進しなければならない。こういうものが「剣」という言葉には含まれているのです。単なる刀(人斬り包丁)での斬り合いではなく、:剣の精神を道として残したい為に「剣」の一字を容れているのです。指導理念で大事な点は、「剣」と「人間形成」の二つです。戦後一時行われた撓競技は、純然たるスポーツである。当時はこれで進駐軍の検閲(武道禁止令)を免れた。今日、剣道本来の「道」に返さねばいけない。

故に剣道はあくまでスポーツではない。
「人間形成の道である。」

「人間形成」問答

この提案に対して、全剣連のY委員は、「人間形成」ということにすると、人間を形(かた)に入れるようで民主教育上如何にも拙いのでは?と反論。S委員長は「人間形成」なぞという言葉は、ついぞ今まで聞いた事がないと言う。すると、当時一委員であったI現会長が、「人間形成」という言葉は具体的で、現実的な表現として存在すると発言。ついに、強いて反対する者もなく「人間形成の道」が会で承認された。

「人間形成の道」は、人間禅第一世総裁の立田英山老師著「人間形成と禅」から借用したもので、これは名著です。座右において愛読されんことをお奨めいたします。

脚注

竹刀(しない)
(「撓い竹(しないだけ)」の意」剣道に用いる稽古刀。柄(つか)と切先(きっさき)に鹿革で包み、前者を柄革、後者を先革といい、これに竹刀弦を取り付け、柄革に鍔(つば)をはめる。柳生流では割竹を革包みとして袋竹刀(ふくろしない)といった。


日本刀
日本固有の方法で鍛えた刀。刀質の優秀さをもって早くから海外にも知られた。慶長(1596〜1615)以前のものを古刀、以後のものを新刀という。


刀(かたな)
刀身が短い片刃の刃物。
太刀の小さいもの。腰刀(こしがたな)。佩刀(はいとう)。
小さい刃物。きれもの。
脇差(わきざし)に添えておびる大刀。大小の大の方。


たち「大刀・太刀」
(「断ち」の意)人などを断ち切るのに用いる細長い刃物。古く用いられた直刀を「大刀」と表記し、平安時代以後のものを「太刀」と書く。儀仗・軍陣に用い、刃を下向きにして腰に帯びるのを例とする。



諸刃の太刀。つるぎ。刃物。「刀剣・手裏剣・銃剣」
剣を使う技。剣術(撃剣)。


居合(いあい)
片膝を立てて、すばやく刀を抜き放って敵を切り倒す技。元亀・天正の頃、林崎重信に始まるという。居合抜きともいい、後は大道芸化する。(以上広辞苑より)

無得庵老居士恩顧の地、浜松、三ヶ日合同参禅会
2012年11月撮影

(この項 要道)


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