小川先生講演第五段


「昭和の名剣士」
剣道理念は制定・通達されたが、実際には空文で実践されていない。去年の二月に全剣連で、規則の改正をしたが、依然として試合の勝ち負けだけに捉われて、未だ剣道のあるべき本来の姿とは言えない。二十一世紀に残すべき剣道は、全剣連で制定した指導理念に立脚したものでなくてはいけない。そういう意味で改正したのです。それでも今もって、そこをしっかりやれていない。大事なことは、指導理念を実践するということです。これが今後の大問題で、私の話はいつでも、どこでもこの話です。

老居士より小野派一刀流の免許を継承された寶鏡庵長野善光老師の墨蹟「独坐大雄峰」

次に、昭和の剣士の中で全剣連の理念に叶う模範的な二名の剣士の話をすこし致します。
一人は二十年前に亡くなった、G,s先生。この方は昭和四年の天覧試合でのとき、自身は優勝する積りでいた。試合は五月、しかし三月に右の肘が急に動かなくなった。温法療法を受けたり,灸をしたり、種々やったが一向に良くならない。右手が利かないと、試合に負けることは必定、結局試合出場を止めようと思った。


しかし、専門家(プロ)としてそんなことで天覧試合を辞退するのも面目が立たない。そんなことで大変苦しんだ。夜中に起き出してあれこれ考え込んだり、極度に悩む、ついに若い時、人生で初めて悩んだ、18歳の時の最大の心理的危機の状況が今にフラッシュバックする有様。18才のとき、京都で内藤高治先生(武徳会主任教授)の紹介で、南禅寺の専門僧堂に入れてもらい、朝三時に起きて、修行僧と一緒に坐禅して、南針軒という老僧に参禅する。禅公案を参究すること半年、ついに老師から“大死一番 絶後に再蘇せよ!の一喝がでる。しかし惜しいことに初関透過を目前にして南禅寺を辞去する。その後、武徳会の剣道の稽古に通い始めて、参禅もやめてしまっていたが、ここで若い時の参禅の記憶を思い起こした。
「勝敗に捉われるからグズグズするんだ!」剣道は元来勝敗ではない。精神が動揺するか、否かだ。心が動くから悩む。心が不動なら片手でも出来るじゃないか。そう吹っ切れた時は、実に二十年来のもやもやが一遍に吹っ飛んでしまった。そういう次第で天覧試合に出て、立派な試合をした。


このGs先生は、50歳代「剣道は稽古ではない、結局、人物である!と言って、先生はあまり稽古をやらない、しかし、誰も手脚(てあし)が出ない、形稽古(かたげいこ)をやれば、かなりな力のある先生でも、五本位まで進むと、道場の隅まで一気に追い込まれてしまう、しかも稽古はあまりやらない。


二十四時間「心」(心の工夫)を離れない。二十四時間「心の修行」だという。この考え方は現代のスポーツ剣道とは異質のものである。警視庁にもこんな先生が居たのです。天覧試合を契機に剣道は「自己である」、「心」(剣の精神)であるということに気がついて、以後さらに人間形成を深められていった。

写真は 無得庵老居士の剣道門下生の坐禅修行
平成24年11月「三ヶ日舎房道場参禅会」に於いて

もう一人はSM先生。この先生は、四十五歳で初めて天覧試合に出場した。優勝もしている。生涯の最後の試合も実に立派であったが、ただ一度拙い試合をしてしまった。或るとき、古賀某という先生と立ち会って、一本また一本ということになって、向うはただ勝てばいいと思っている。しまいに何とも見苦しい試合になってしまった。


SM先生その試合が後々気になって仕方がない。「どうしてあんな試合したんだろう?恥ずかしい!こりゃ、もう一度修行のやり直しをしなくっちゃならない!。」と。当時朝鮮総督府に剣道教士として招へいされていたが、退任を願い出て、東京に帰り、警視庁、講談社野間道場で猛稽古を継続。

以来「恥ずかしい」という気持ちを原動力に勇猛精進、十年後の五十四、五才の時には稽古で、誰も寄せ付けないという気迫、心境に達した。それでも反省心の強い先生は六十歳前後の全盛期の時代に、〝どうも真剣になれない。刀で稽古したら、気分がでるだろうか?。などと、なお『恥』の意識を感じて、さらに本当の剣道を目指して修行する。しかし更に自分で納得がいかない。


七十二歳の時に全剣連から十段位を授与された。式場は東京文京区妙義道場、その時、事務局長が、会長代理で証書を持ってきて、授与しようとすると、受け取らず、投げ出しちゃった。実力がなくて、十段貰って意味があるかと、私は日暮れて道遠しだ。みなさん若いから、しっかりやってくれ、剣道は深い!と十段を辞退した。(全剣連では記録は允許となっている)


 先生の目標は、本当の剣道、自分に納得がいく剣道ということであるので、亡くなるまでこの世の中に剣道くらい難しいものはない・・・そういって亡くなられた。何が難しいと言って、構えていると、ポツンと一念が湧く。それがどうしょうもない。SM先生の悩みの根源はそこなんです。これが本当の剣道なのです。SM先生のクラスになると、世間では名人の域です。しかし先生ご自身はそういった謙虚な人柄。


一方稽古を通して真面目に自己の心に取り組んでいるから、やり遂げたという満足感から、内心からの喜びが出てくる。小野某先生に、「小野君、僕は、毎日が楽しくて仕方がないが、人間はこれでいいんだろうね」との晩年の述懐があったそうで、剣道にもそういう楽しみがあるのです。


GS先生にしても、SM先生にしても昔の達人に伍して、心の持ち方ひとつを変える事で、現在の剣道稽古の儘で、自己反省の上に立って、『恥』の意識を超えた人間形成の高みへと到達できたのだと思います。つまり両先生は心を内に向け、生涯をかけて自己を開拓、究明された方でした。


注脚


南針軒
南禅寺の南針軒老師。
南針軒は軒号、禅の師家の表徳号、他に窟号,庵号がある。


初関
禅に入門、入会する際、最初に授けられる禅の公案(中国の公府の案牘に由来する。)

大死一番
精神的に死に切ること。

絶後に再蘇
大活一声で精神的に蘇る、悟る。見性すること。

武徳会
大日本武徳会。1895年(明治28年)武道の奨励を目的として創立。京都を本部に全国に支部を置いた。第二次大戦後に解散するが、のちに復活。

GS先生
斎村五郎氏。明治20年福岡市生まれ。中学卒業後、大日本武徳会武術教員養成所入所。二十九歳のとき上京。警視庁、陸軍戸山学校、皇宮警察、早稲田、日本大学等で師範、教授をつとめる。剣道範士十段。昭和44年没。享年81歳。小川範士は国士館専門学校と警視庁で斎村範士の指導を受け、大日本武徳会主任教授内藤高治範士ゆずりの遠間大技の捨身稽古に感化を受けた。

SM先生
持田盛二氏。明治18年群馬県生まれ。明治四十年、大日本武徳会群馬支部の推薦により武術教員養成所に入所。大正十四年、朝鮮総督府に剣道教士として招聘される、昭和二年には剣道範士の称号を授与される。その後各試合で優勝。警視庁、皇宮警察、学習院、慶應義塾などの剣道師範をつとめた。昭和32年全日本剣道連盟より十段允許。36年紫綬褒章受章。昭和49年没。享年89歳。 (以上、体育とスポーツ出版社発行、小川忠太郎著「百回稽古」別冊を参照。)


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