警視庁剣道名誉師範 無徳庵小川刀耕老居士
(小川忠太郎講演「剣と禅」人間形成の道より)
於 聖徳学園岐阜教育大学 s63・10・16 PM1;00
小川先生講演第六段
「心の究明」
昭和の名剣士ともいえる、全剣連(全日本剣道連盟)の先達斎村,持田両先生方はその全盛期が少々相前後する
のですが、両先生とも常々、生涯を通じて、禅でよく言われる「回光返照(えこうへんしょう)」(心を内に向けて自省し、自己を究明)する稽古をされた。
現代の稽古もそのままでいいのです、「ただ心一つ(用い方)を変える」という事が肝心です。
全剣連では今も審伴規則だけをあれこれ変えようとするが、すぐまたその裏をかいて、勝つための(枝葉の)竹刀技術を考え出す(堕す)という、イタチごっこです。
剣道を指導する方は今後も是非、指導理念「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である。」ということをよく噛み砕いて指導を願いたい。
さすれば21世紀に向かって日本剣道は日本文化、武芸の貴重な一つの選択肢としての人間形成の道であることが次第々に世界に拡大周知されてゆくと確信するのであります。

前置きはそれくらいにして、本論にはいります。
剣道でも禅でも、始める時に一番大事なものは「志(こころざし)」です。換言すれば「求道心!(きゅうどうしん、ぐどうしん)!」。
これが大事。段がほしいとか、試合で勝って名前を出そうとか、名利(みょうり)、名声(めいせい)のためにやる。これでは晩年(人生終末期)、(精神的にも)行き詰まるのはあたりまえ、名剣士と謳われた先人は晩年(精神的に、心のうえで、心理的に?)行き詰まる(閉塞感に苛まれる)ということがない。
82歳を一期(いちご)とされた斎村範士は逝去半年前になって「もう社会とは縁を切る」と表明された。
持田範士は80歳の時「もう誰も来なくてもよい。」と周囲に決別宣言した。人間80歳にもなると世間はそれまでの地位や功績を忘れて、普通棚上げ?して相手にしないものです。そんなことで大抵の者は悩む。あれほど世話したに、恩を返さない、寂しい、まだ先が不安、空しいなどと。これなどは平凡の人士といえる。
禅語に「三間(さんげん)の茅屋(ぼうおく) 人の到(いたる)なし、十里(じゅうり)の松門(しょうもん)独(ひと)り自(みずか)ら遊ぶ」という句がある。
悠々として独り余生(遊化三昧)を楽しむ。勿論若い者でもこの境地に至っている者もないとは言えないが、しかし生涯内心を見つめる剣道修行をやったからの境涯ともいえるので、人を相手の剣道では一生やっても、80歳になったと言っても、この境涯に到るのは至難の業であります。

茅屋
茅葺(かやぶき)の屋根。また、その家。
あばらや、また、自宅の謙称。
三間
18尺(約3,2m)
十里
約30、9km
「人の到るなし」
人跡未踏の地。自家屋裡(じかおくり)、臨済和尚の語。信州飯山の正受老人の師、大垣の元「宿屋」の主人から出家得度した至道無難禅師の和歌に「心より外(ほか)に入るべき山もなし知らぬ所をかくれがにして」がある。
松門
松の木が自然に門の形をなすように育てたもの。
吉田松陰の門下。

(この項 要道)


コメントを残す

メニューを閉じる